千石 久美子: 2008年2月アーカイブ
1月25日金曜日、霧島市学校保健会のお招きで、第2回霧島市学校保健会研究協議会で講演させていただきました。
演題は、〔子どもの心を支える接し方 ~子どもの心に寄り添い育むために~〕
私自身の子育ての経験や、スクールカウンセラーや医療現場での経験を交えながら、ストロークの大切さをお話ししてきました。
参加対象者は、学校医、学校歯科医、学校薬剤師、PTA関係者、教育委員会関係者、小学校・中学校・高等学校関係者・・・という霧島市全域にわたる大々的なものでした。
これまで、講演といっても、30人前後の小規模なものがほとんどで、(たまには90名ということもありましたが)、参加者の間をうろちょろしながら、相互交流を大切にしたスタイルでやっていたので、かなり戸惑いました。一方通行の講演は、やっぱり、私の性に合いませんね。しかし、ストロークという認識の無かった方がほとんどでしたので、好評をいただき、メッセンジャーとしての役割は果たせたかな、と思っているところです。
その4日後、PHSの留守電に、「妻鹿(めが)です・・・・」という、思いがけないメッセージが。私は、高校時代陸上部でしたが、その時の監督(体育教師)の、妻鹿功先生の声でした。
妻鹿功先生といえば、鹿児島の体育教育関係者では知らない人はいないくらいの超有名人です。私は不詳の弟子でしたが、優秀な選手を多数育成されていらっしゃいます。その妻鹿先生が、なぜ・・・・?
慌てて着歴番号にかけ直しました。そこは、NPO法人・隼人スポーツクラブというところで、現在は、そこの理事をされていらっしゃるということでした。
先生がおっしゃるには、(鹿児島弁で再現します)
「あんたは、霧島市で講演をしたでしょう? そこに、うちの娘が行ってたのよ。 娘が帰ってきて、今日はいい話を聞いたって言うもんだから、どんな人だったの?って聞いたら、千石久美子 って 言うじゃないの。 もしかしたら、同姓同名かもしれないけど、あんたかもしれん・・・ と思って、教育委員会の人にきいて、番号を教えてもらったのよ・・・・」 ということでした。
高校卒業後、しばらくは、帰省するたびに母校を訪れ(弟が在校)、ご挨拶をしたりしていましたが、先生が転勤されてからは、音信も途絶えておりました。
陸上部の後輩が、弟と親友だったので、弟をとおして、近況等は聞いたり、新聞紙上でご活躍を拝見したり、娘の小学校の担任が妻鹿先生の指導を受けていたりと、間接的には情報を得ておりましたが、直接話をしたのは、25年ぶりくらいでした。
本当に思いがけなく、あまりの懐かしさに、思わず高校時代にワープしてしまいました。近況をご報告したところ、励ましのお言葉をいただきました。
実は、千石は旧姓です。 だからこそ、先生が気づいて下さいました。 コラソンを立ち上げた目的の一つに、フィールド活動がありました。 旧姓の方が、ネットワークが広いと判断し、また、私の個人としてのアイデンティティは千石なので、コラソン立ち上げと同時に旧姓で活動を始めたのです。 当初は、「えっ、離婚したの?」と、本気で心配された方もいらっしゃいましたが・・・・・。
このような、うれしい再会を願いながら、再会を喜んでもらえるような活動を、これからも続けていきたいと思っているところです。
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でんでん工房 中村です on 思いがけない再会(といっても、電話ですが・・・): 人と人との出会いって